出身大学以外の医局に属すと「外様扱い」される?
■ 記事作成日 2015/12/29 ■ 最終更新日 2017/12/6
「医局外様はツライよ…」
出身大学以外の医局に属して働く医師=“いわゆる医局外様”は、多かれ少なかれ、このような感覚を抱いていると言います。
「良いアルバイト先を紹介してもらえない」
…これくらいなら居酒屋トークで消化して下さいと一蹴するところですが…
「医学博士への道が拓かれない」
「海外留学への道が拓かれない」
「よい症例となる患者さんを紹介してもらえない」
「研究費がまわって来ない」
「ランクの高い関連病院で勤務できない」
「最果ての関連病院に飛ばされる」
「当直を強いられる」
「まともな仕事を与えられない」
…医業の根幹に関わるキャリアパスや、労働者としての権利に関わる人権問題まで、実に多角的なシーンで弊害が起きていると聞けば、黙っている訳にはいきません…
佐藤秀峰作の人気医療漫画『ブラックジャックによろしく』では、優秀な医師が、医局外様という理由だけでまともな仕事を与えられず、実験用のモルモットの飼育のみに従事させられ、ノイローゼになるというエピソードがあります。…もちろんこれは、フィクションならではのエッジを利かせた描写かもしれません。
しかし、外部大学出身というだけで医局外様扱いされ、辛酸を舐めざるを得ない医師がいる事は、紛れもない現実なのです。医療外様の実態は、いったいどのようなものなのでしょうか?
医局外様はどれくらいいるのか?
医局における「外様」・「譜代」・「親藩」の違い
出身大学以外の医局に属する医師を「外様」と呼ぶのは、もちろん江戸時代の大名の家格が由来となっています。
「外様」
関ヶ原の戦いの後に徳川家に臣従した大名。
つまり、出身大学以外の医局に入局した医師。
「譜代」
関ヶ原の戦いより前に徳川家に臣従していた大名。
つまり、出身大学の医局に入局した医師。
「親藩」
徳川家康の男系子孫が興した藩。
つまり、出身大学の医局に入局した医師かつ、歴代教授やその縁者など有力者の子息である者。
外様より譜代が上、譜代より親藩が上…大学病院の医局には、このような見えないヒエラルキーが少なからず存在しています。
それは、医局の力が弱まったと言われる現代でさえ、脈々とその歴史を受け継ぎ、医師の医師たる人生に非常に大きな影響力があると囁かれています。
医局外様の割合をご存知ですか?
厚生労働省の調査(平成25年臨床研修修了者アンケート)によると、臨床研修大学病院で臨床研修を行った研修医がその大学を選んだ理由は…
出身大学である(29.6%)
プログラムが充実している(16.2%)
研修後の進路やキャリア上有利(11.7%)
たすきがけプログラムがあったから(11.2%)
…と、なっています。これらの内訳は例年概ね同じようなもので、医局を選ぶ理由が必ずしも出身大学とは関わりが無く、「憧れの研修プログラムを受けたい!」とか、「〇〇大学の医局に入れば、将来海外留学ができるかも!」とか、「大学入試には失敗したけれど、医局はやっぱり〇〇大学がいい!」…などという研修医が多いと言えるようです。
そして、臨床研修大学病院で臨床研修修了後の医師の約9割が、そのままその大学の医局に入局を予定しており…
卒業した大学の医局に入局する医師(54.5%)
卒業した大学以外の医局に入局する医師(33.7%)
∴譜代医局員【62%】 対 外様医局員【38%】
つまりこれが、大学病院の医局員の一般的な内訳なのです。
この数字だけを見ると、外様医局員がそれほどマイノリティには見えません。それなりに市民権を得ているのではないかと思えるほどの割合はいるのです。
しかし逆に考えると、こんなにも多くの医師が外様であるにも関わらず、「譜代医局員と外様医局員の待遇があからさまに違う」という声が、決して小さくないという現実への恐怖が募ります。
医局とは、今も尚、そんなに特殊かつ閉鎖的な所なのか?
実際に医局で起こった、外様医局員に降りかかったエピソードを見てみる事にしましょう。
外様医局員に襲い掛かる悲運悲話…
キャリアパス構築のチャンスが回ってこない
A医師は旧帝大大学病院の医局に属する、いわゆる外様医師です。大学入試時にどうしても偏差値が足りずに隣県の国立大学医学部に入学したものの、旧帝大大学病院への憧れが捨てきれず、臨床研修大学病院に旧帝大を志望し、念願かなっての入局でした。
「これで夢のキャリアに近づける!」
A医師は、研修医時代から人一倍熱心に学び働き、教授以下の全ての上長の無理難題や雑用にも耐え抜きました。自分は外様だと自覚し、多少の回り道は仕方が無いと言い聞かせていたのです。卒後十年以上が過ぎ、やっと医局内で一目を置かれる存在になったと考えていたのですが…A医師の後輩であるB医師が、A医師の上長につくことになったのです。
これにはA医師も納得できません…研究スキルも、臨床スキルも、自分の方がはるかに優れていると考えられるのに、なぜB医師が出世していくのか?
A医師は思い切って、教授に直談判をしたそうです。
「なぜB医師がこのポジションに就くのか?」…と。
すると教授は…
「君は非常に優秀な人材だ。私も心底信頼し、頼りにしている。しかし君には、外形評価が何もない。著名な論文も無ければ、博士号もない。海外留学の実績だって無いではないか?…それでは我が医局の顔として、外部とやりあっていく時に力負けしてしまうのだよ。」…と。
A医師も食い下がります…
「確かに、私には博士号も無ければ海外留学経験もありません。しかし、それもこれも全て、医局のために働いてきた結果です。私が海外留学を所望した際に、教授はこうおっしゃいました。“今は私の右腕として、この研究に邁進する事を優先して欲しい。今回の留学枠には、まだ研究の戦力外であるB医師に行ってもらう事にした”と。」
すると教授は深い溜息をつき、こう言ったそうです。
「組織というものは、皆が同じ役割を果たすものではない。それはよく分かっているであろう?君の役割は、縁の下の力持ちとして、その確かな研究および臨床スキルを医局のために発揮してもらう事だ。適材適所を考えた時、残念ながら君は、医局の顔になる人材ではない。あらゆる人脈を駆使して世界最先端の医療を研究し、結果出し続けていくためには、あらゆるステークホルダーが納得のいく人材が“顔”になる必要があるのだ。君も知っての通り、B医師は曽祖父の代から我が大学出身であり、医療界でも名前が通り易い。つまり、協力者も得られ易いのだよ。だから彼には、医局の顔になるためのキャリアを積んでもらったのだ。君の言う通り、B医師はまだ青い。B医師に足りない研究スキルや臨床スキルを、君のキャリアで支えてあげて欲しいと考えている。どうかこれからも、宜しく頼みたい。」…と。
「俺はバカだった…」
A医師は愕然としました。外様医局員という事で、多少の回り道は覚悟していたものの、それは間違いだったのです。回り道だろうが、茨の道だろうが、最初から医局で出世する道など、一つも存在していなかったのです。
入局する際に、「人一倍一生懸命頑張る覚悟」は出来ていたA医師ですが、「出世を捨てて奉仕する覚悟」など、持っていた訳ではありません。
もちろん教授は、A医師をおざなりにしている訳ではありませんでした。A医師に一目を置いているのは間違いありません。その証拠に、A医師が関連病院に医局人事で派遣されたのは、若い時分のたった一年だけです。
しかし、これまで文句も言わずに覚悟を決めて働いてきた行動が、外様医局員であるA医師の評価を、彼のプロフィールとマッチする「縁の下の力持ち」へとラベリングされる結果となっていた事に、A医師は心底驚いていました。実際のところ教授は、A医師が職階を望むタイプであるとは、露知らない状況だったのです。
それに比べてB医師は、親藩医局員です。親子三代に渡って当該帝大医学部出身で、かつ、父も祖父も医局の要職を務めてきた人物。B医師の希望や適性は置いておいて、B医師のプロフィールにマッチする「医局の顔」へとラベリングされ、そのポジションに相応しくなるべく育成されてきたという訳です。
教授は最初から、B医師を医局の後継者として見ていました。そして誰もが納得するキャリアを形成させるために、海外留学を斡旋したという訳です。
誰もが欲しい、「博士号」や「海外留学」や「論文筆頭著者」の実績…そしてそれらは、医局内で職階を得ていくために必須項目である事は揺るぎません。
もしも外様医局員のB医師がそういう類の出世を望むならば、与えられたポジションを受け入れるだけの発想では、そもそも太刀打ちできる由もないという社会の構図を、もっと早い段階で知るべきだったのでしょう。
そして医局内での出世を現実のものとするには、ビジョンを掲げた上で、戦略や戦術が必要です。A医師が出世をするためには、目の前の仕事を一生懸命頑張る事では足りなかったのです。教授以下の上長を納得させるためにあらゆる手を尽くし、自らが進みたい方向性を明快に表しながら、優位性や適性を事あるごとにプレゼンテーションすべきだったのです。
外様医局員が、絶対に職階という意味での出世ができない訳ではありません。しかしながら、譜代医局員や親藩医局員が、教授の思い描くビジョンとシンクロし易いのは当然の事です。教授と同じカルチャーの中で生きてきたのですから。
外様医局員が彼らを超えて職階を得ていくためには、予め自らが、帰属意識という意味で譜代医局員や親藩医局員に等しい存在、そして能力という意味ではそれ以上の存在であることを認めさせていく必要があったのでしょう。
大学病院で働けない…便利なコマにされている
あらゆる市中の病院が、大学病院の医局と懇意にしたがる大きな理由に、「医局人事で人材を確保しやすい」…が、挙げられます。
入局十二年目のC医師は、そんな医局人事に振り回され、心身共に疲弊してしまった外様医局員です。
C医師は、入局後二年ほど大学病院で勤めた後、すぐに市中の病院に異動が命じられました。そこで一年ほど働いた後、また別の病院に異動する事になりました。この辺りまでは、「医局が若い自分に経験を付けさせてくれているのだろう」…と、何の疑問も持っていなかったそうです。
しかしながら、その後一向に、大学病院に戻れる気配はありません。短くて半年~長くて三年という期間で、次から次へと異動を命じられてきました。医局や医療業界のあらましも分かった一人前の医師になった頃、C医師は「異動が多く、大学病院に戻れないのは、自分が外様医局員だからか?」…と、思うようになったと言います。
譜代医局員の多くは大学病院で働いているし、医局人事で異動が命じられても、数年後には元に戻れています。しかしC医師はどうしても戻れない…
さらに、市中の病院には、いわゆる暗黙のランク付けがされている事を知り、病院の評価が高く、勤務条件の良い病院には、譜代医局員ばかりが異動している事に気付いたそうです。
「自分は外様医局員だから、辛酸を舐めているのではないか?」
…そう考えると、自分の今の立場が腑に落ちたと共に、将来への不安が膨れ上がってきたと言います。
そんな環境の中で結婚し、一人娘が生まれたばかりのC医師の下に、再び異動の知らせが舞い込みます。
「〇〇県の□□病院に行ってくれないか?」…と。
これまではどんなに異動が命じられても、県内や隣県での勤務でした。しかし今度は、医局と関連する最も果てにある、C医師の人生に何の関連性も無い上、僻地という立地です。
「これがいわゆる島流しか?」…C医師は愕然とし、さすがにこの異動は受け入れられないと、本気で退局を考えました。しかしながら、これまで勤務してきた懇意の病院に、「受皿になってくれないか?」…と、水面下で打診しても、「いやぁ、C先生のお人柄もスキルも充分認めているし、医師不足で喉から手が出そうに有難い話だが、医局をないがしろにする訳ではいかない。うちでの受け入れは無理だ」…という、回答しかもらえません。
さらに、転職エージェントに登録して就職先を探そうとしても、C医師が思い描く条件の求人がなかなか見つかりません。給与面では悪くないところも多々見つかったのですが、役職や職務内容や提携大学病院などの仕事の質に目を向けると、納得できるものは一つもなかったと言います。
以前のような絶対的な医局人事が崩壊し、医師向けの転職エージェントが台頭している現在でさえ、多くの医師はこう言っています。
「医局を無視して生きられるのは、都会の医師だけだ」
「自由に働き方を選べるのは、一握りの実力者だけだ」
「自由に働き方を選べるのは、ドロップアウトした者だけだ」
“開かれた医療市場”と言われて久しい今日この頃ですが、それには必ず「以前に比べると」…という、限定的な前置きが付いて回ると考えた方が賢明です。
C医師は、今更になって、医局の恐ろしさを痛感していると言います。もっと若いうちにこの構図にはっきりと気付くべきだったと後悔してもしきれないと…
外様医局員は出世できない?という半ば公然の噂
医局の事情と市場性
「充実した研修プログラムがあります」
「他の大学出身者も歓迎します」
「医局内に学閥はありません」
このような謳い文句を掲げて、大学病院の医局は、大々的に医局員を募集します。医局は人材が全て。人を集めるためには、必要不可欠なふれ込みなのでしょう。
現在の臨床研修制度が敷設されて以降、医学部卒の研修医は、自由に研修先の病院を選択できるようになりました。試験さえパスすれば、自らが望む医局で研修を受け、それを終えるとそのまま入局する道が拓けるのです。そこに、出身大学は関係ありません。
しかし、大学病院の医局でない臨床研修病院が、時間的に楽な勤務条件や、高い給与をぶらさげ、良い人材を確保しようと躍起になってきました。そのような潮流から、いくら名門大学病院だと言えども、人材確保は容易いものではなくなったのです。自らの大学医学部を卒業した若手医師が、母校の医局を選ばず、条件の良い魅力的な病院にどんどん流出しています。医局は是が非でも、他の大学出身者にも門戸を開いて、人材を確保しなければならないのです。
このような大学医局側の事情は、市場であるニーズとマッチしました。それは、「どうしても〇〇大学の医局に入りたい」…という、他大学出身者の「憧れ」という感情です。
国立大学医学部の多くは、入試の際に非常に高い偏差値を必要とします。旧帝大となれば尚更です。名門私立大学医学部も然りです。憧れの医学部に届かなかった医師たちが、憧れの大学病院医局を目指す傾向が見てとれるのです。
医師のコミュニケーションは特殊な切り口で始まる
一般的なビジネスの世界では、名刺交換をして出逢ったばかりの相手に、出身大学や指導教授名などを訊ねる事は有り得ません。しかし医師の場合は、「出身大学はどちらですか?」「どちらの医局に所属されていましたか?」…という会話が、初対面の相手と当たり前に交されるという特殊性があります。
特に、転職の面接のケースでは、その医師のプロフィールやスペシャリティなどより前に、出身大学や医局の話が振られ、「〇〇ご出身ならば…〇〇教授はご存知ですか?私も以前、〇〇時代に大変お世話になったのですよ」…という類の話が延々と続く事が多々あります。相手と共通の何かがあれば、とたんに仲間意識が芽生え、面接の半分はここで終わっていると言っても過言では無い程です。
医師や医療業界の人間は、その医師の価値を判断する材料の一つに、出身大学や医局や勤務経験病院のランクなど、外形評価を入口にしている傾向にあると考えられます。ですから、学歴や人脈というものは、医師の出世には大きな武器になるマスターピースになっており…結果…「外様医局員は出世できない」…という定石が生まれていると考えられます。
もちろん、医師個人の研究スキルや臨床スキルや人柄に、出身大学は関係ありません。しかしながら、同じスキルの人間が二人いた場合、自らと共通性の高い人間を選ぶのが人情です。
「外様医局員は出世できない」と言い切る事はできませんが、外様としての生き難さを感じている医師が多くいる事も、揺るぎ無い真実だと言えるでしょう。
外様や譜代なんて全く関係ないという意見も
医局と言う特殊な環境の中で、外様医局員が不遇を甘んじている悲運を見て来ましたが、「外様がどうだなんて、まったく関係ない」と言い切る医師もいます。
「医師の世界は実力勝負」
「入局した時点でチャンスは同等」
「自分は譜代医局員だが、外様医局員に先を越された」
…このような意見を主張する医師も少なくありません。
特に、心臓外科など、実力が明快に分かり易い診療科の医師は、「外様か譜代か親藩なんて、全く関係ない」と言い切ります。実際、マスコミで取り上げられ、名医と言われる著名な心臓外科医の多くは、旧帝大の出身でも名門私立大の出身でもありません。
医師としての誠意と高いスキル(診療スキル・手術スキル・研究スキル等)がありさえすれば、外様かどうかなんて事はどうでも良い話。患者の立場から見れば、全く関係も問題もない事なのです。
「外様かどうかなんて関係ない」と言い切り、外様でありながら医局内で出世をしている医師は、こうも言います。
「外様である事を理由に出世ができないと嘆いている奴は、外様である事とは別の問題を抱えている事が多い。たとえば医師としての診療スキルだったり、管理者としてのコミュニケーションスキルであったり。現状不満の根源に目を向けず、自己憐憫に浸る要因として、外様医局員であるというどうしようもない要素を言い訳にしているだけだ」…と。
現状の不遇に苦しむ外様医局員には、成功者の声は救いようのない冷たい意見に聞こえるかもしれません。しかし、「逆も真なり」という視点も持ち合わせて欲しいと考えます。
そもそも同じ医局に属していながら、外様だ、譜代だ、親藩だと各々をラベリングして評価し合っていること自体、非常にナンセンスな事です。それに、自らを外様医局員だと認識して、外様たる行動をしている自分自身こそが、諸悪の根源だとも言えるのです。
もしも出身大学以外の医局に入局したならば、自らをよそ者と思わず、「この大学病院の医局員」として、しっかりと名実共に腰を据えるべきです。自分自身が医局に帰属意識を持たなければ、医局の要職に就くための評価を得られるはずもありません。
さらに言えば、入局した時は「外様」であるという評価は仕方ないとしても、自らの帰属意識と働き方によって、「譜代」にも「親藩」にもなれるのが組織の真理です。
江戸時代の大名だって、全ての外様の家格がずっと外様であった訳ではありません。龍野藩主の脇坂家は、「外様」であったにも関わらず、幕末には「譜代」になっています。会津藩主の松平家は、「譜代」から「親藩」になっています。
要は、帰属する組織にとって、自らがどのような意識で対峙し、どのような働きをするか?…も、重要なのです。
ある譜代医局員は、こうも言います。
「外様医局員は、自分たちと違うアイデンティティを持っているから、切口が面白くて、周囲が驚くようなアイディアで難題を解決する事もある。そういう目立つ動きをし易いのは外様医局員のほうで、教授にもPRをしやすい。それに比べて自分たち譜代医局員は“ONE of THEM”だから、何をやっても目立たない」…と。
確かに、外様医局員には外様としての苦労があるでしょう。しかし別の立場から見れば、その立場の人間なりの苦労があるというものです。
医局外様がツライならば…
どんなに時代が変わっても、どんなに“開かれた医局”が実現されてもきっと、外様だの譜代だの親藩だの、アイデンティティの違いが組織の軋轢や個人の不満に繋がる事は免れません。大小の差はあれ、何らかの問題は発生するでしょう。
外様医局員の苦悩の事実には、目を覆う悲しさがあります。もしも先生が「外様」という事が原因で不幸な日々を送っているならば、選択肢は三つに一つです。
1.現状を甘んじて受け入れてでも、医局にしがみ付く。
2.ビジョンと戦略と戦術を持って組織に挑む。
3.医局に見切りを付け、市中の組織に転職をする。
臨床に特化した道を選んだ医師ならば、医局に見切りをつける決断も早いのでしょうが、研究分野に身を置きたい医師などは一筋縄でいかないかもしれません。しかし、もしも「外様」という理由でお悩みの先生がいらっしゃったら、どうか、一人で悩まれないで下さい。当研究所が推奨する優良エージェントへのコンタクトをお勧めします。最終的に先生がどんな選択肢を選ぶかは別として、「三、医局に見切りを付け、市中の組織に転職する」という可能性を探ってみてはいかがでしょうか?
三つ目の選択肢に向き合う事で、本当に自分が進むべき道が見えてくるかもしれません。最終的に先生が、一や二の選択肢を選ぶ可能性があっても、優良エージェントのコンサルタントは、喜んでご相談を受け付けているのですから。
この記事を書いた人
医師キャリア研究のプロが先生のお悩み・質問にお答えします
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