聖徳太子の意思を受け継いだ?光明皇后が設立した医療施設

■作成日 2018/2/26 ■更新日 2018/5/9

 

元看護師のライター紅花子です。

 

このコラムでは、医学・医療・看護の歴史や、その分野発展の上でターニングポイントとなる「ひと」「こと」「もの」などを取り上げ、ひも解いていきます。今回は、奈良時代の皇后が設立した、医療施設に関するお話しです。そこにはどのような歴史物語があったのでしょうか。


全般的なこの時代のこと

奈良時代は、「天皇中心の世の中」として一応の落ち着きはみられましたが、藤原氏一族や、あまたの貴族の中から「時の権力者」と呼ばれる人物が台頭していた時代です。

 

先に施行されていた基本法令を参考にして新たに「養老律令」という、現在でいう刑法や民法・行政法にあたる基本法令が編纂されるなど、日本は「律令国家」として歩み出していました。

 

また、中央や地方の官制が整えられ、知事や副知事にあたる官職が中央から派遣され、地方行政が執り行われていました。土地の私有についての政策や租税のしくみが整えられ、民衆は種々の税負担を強いられた時代でした。

 

権力者たちが自分たちに有利な政治を進める一方、天皇はさまざまな問題に頭を悩ませていたようです。特に大仏造立で有名な聖武天皇(在位724年~749年)は、非常にデリケートな性格であったことも影響し、難問が降りかかると自分の至らなさを嘆き、災いからの脱却をはかるため遷都を繰り返します。

 

この聖武天皇の皇后となるのが、当時権力者だった藤原氏一族の藤原安宿媛、のちの光明皇后です。

仏教がと政治の深い関係

奈良時代は『鎮護国家思想』といわれる「仏教の教法によって国家の安泰を図る」政策が執られ、特に聖武天皇の時代に、この政策が強く推し進められました。国分寺や国分尼寺の建立、大仏造立もこの政策の一環です。その背景には疫病の流行があったといわれています。

 

当時、貴族であった権力者の暗殺疑惑やその祟りの噂があるだけではなく、死亡率が35%という疫病(天然痘だったといわれています)の大流行によって、次の権力者となるはずの藤原4兄弟があっけなくこの世を去ってしまったのです。他にも、大地震やかんばつ、飢饉などの災いが多発、正に「国家の危機」でした。

 

この頃、大陸から伝わった仏教は、上層階級のみが信者だったようです。貴族たちは、仏教のもたらす文化水準の高い国家を建設し、一般庶民に仏教を浸透させようとしていた時代でもあり、その一環としての救療事業がさかんに行われました。寺院などに救療施設ができ、僧侶の中には医を職とする僧医、病人を看護する看病僧がいたという記録が残っています。

奈良時代の医療

 

この時代、実は医療が制度化し始めた時代でもありました。律令(今でいう法律)の中に、医療に関する「医(い)疾(しつ)令(りょう)」が定められました。これは27条にわたる、国の医療行政や医学教育までが細かく定められた取り決めであり、この中には、根本として医療は国として提供するものであるということが書かれていました。

 

  • 一定の学問を修めて国家試験に通ったもののみが医師になれるということ
  • 女性医師(現代でいう医師と助産師・保健師の中間くらいの地位)についての規定
  • 医師はあくまでも官吏であるため、給は国から支給され患者から徴収してはならないこと
  • 看護人についての規定

 

なども盛り込まれていました。その後の記録によると、名医として記録されている人物の多くは僧侶で、看病僧として名を遺す僧侶もいました。ただし、看病僧の「看病」とは、現代のそれと同義ではなく、『病人を診ること』が努めであり、薬石による病気治療、病気平癒の祈禱などを行うことが職務だったようです。

 

その一方で、救療施設には多くの患者の世話をする「看護人」が、多数存在していたと推測されますが、それについての記録は残念ながら残っていないようです。

貢献した人物

 

救療事業がさかんにおこなわれていたこの時代、特に有名だったのは光明皇后の命により、現在の興福寺の建てられた「施薬院」「悲田院」です。施薬院は薬局のような役割の施設、悲田院は社会福祉的役割を持つ施設でしたね。

 

では、光明皇后の人物像を見てみましょう。夫は時の天皇である「聖武天皇」、次期天皇である「孝謙天皇の生母」ですが、藤原一族の出身です。祖父は藤原鎌足、父は藤原不比等、異母兄が藤原4兄弟、異父兄が橘諸兄という、そうそうたるメンバーの中で育った人物です。この光明皇后は「皇族・貴族以外で初めて皇后になった人物」としても有名です。「光明」というのは通称なのですが、その容貌が光り輝くような美しさだったからと言われています。

 

光明皇后は、熱心な仏教信者であった母親の影響を受け、自身も仏教思想をよりどころにし、唐の教養を身につけた文化人でもありました。

 

723年、光明皇后は(当時は皇太子妃の立場)興福寺に施薬院と悲田院をつくり、730年には皇后宮職(皇后直轄の役所)に施薬院をつくりました。窮民の老人に薬を与え、保養のかなわない病人や孤児を悲田院に収容することが目的です。

 

光明皇后にはその慈悲深い心を示す有名な伝承があります。

 

1000人の病人の身体を洗うという誓いの下、ちょうど1000人目に全身に膿を持った病人(ハンセン病患者)が「膿を吸い出してほしい」と言ったので、求めに応じて膿を吸い出していると、その病人は黄金色に輝き、阿(あ)閦(しゅく)如来となって飛び立った…

 

平安時代後半のころから広まっていたとも言われるこの伝承は、その後1,000年以上も語り継がれます。鎌倉時代になって忍性という僧侶がハンセン病のための長屋「北山十八間戸」を作りましたが、その運営は明治維新まで続いたのです。


まとめ

興福寺五重塔

 

仏教の僧侶から始まった「医療」と「看護」の世界ですが、慈悲深く、志高く、市井の人々(特に窮民や老齢者、孤児の病人)に対しての施療をおこなった光明皇后の「救いたい、助けたい」という気持ちは、現代の医療者も大切にしていくべき『心のありよう』と言えるのではないでしょうか。

 

 

この記事をかいた人


紅 花子 (べに はなこ)
正看護師歴10年、IT技術者歴10年という少し変わった経歴をもつ。現在は当研究所所属ライターとして、保健医療福祉分野におけるライティング業を生業としている。この分野であれば、ニュース記事の執筆・疾患啓発・取材・書籍執筆・コンテンツ企画など、とりあえずは何でも受ける。東京都在住の40代、2児の母でもある。好きなマンガは「ブラック・ジャック」。

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