第6回:【医療経営士】診療科目の歴史と医療技術の進歩
■ 記事作成日 2016/11/29 ■ 最終更新日 2017/12/5
医療経営士3級のテキストより 診療科目の歴史と医療技術の進歩
元看護師のライター、紅花子です。当コラム、第6回目となる今回は、医療経営士3級用のテキストの5冊目、「診療科目の歴史と医療技術の進歩」についてみていきます。医療経営には、こんな知識も必要なのか!と考えさせられる部分も、あるかもしれません。
医療経営と診療科との関係?
医療機関を経営するにあたり、何科を標榜するのか、どのような医療を行っていくのかは、その根幹に関わる重要なポイントです。これは大きく2つの考え方があるようです。
- 診療圏に関するデータ、建物・医療機器等の装備、人材などのハード面
- 社会保険診療における収支、人件費や機器リース代などとのバランス
日本には医療機能を表す言葉として「医療圏」がありますが、これはさらに一次、二次、三次に分かれます。
- 一次医療圏:基本的には入院を必要としない患者を対象にし、一般的には市区町村単位で構成される
- 二次医療圏:入院加療を必要とする患者を対象にし、一般的には都道府県ごとに複数の二次医療圏が設定される
- 三次医療圏:より高度な医療(救命処置や高度な手術など)を必要とする患者を対象とし、都道府県全域が設定されることが多い(一部の都道府県ではこの限りではない)
図1 医療圏の例(神奈川県)
この中で、医療機関側からすると一番曖昧になりがちなのが、二次医療圏です。その医療圏の中に1つ以上の「 “二次救急”を受け入れる医療機関」が存在すればよいはずですが、実際には複数の(地域によっては多数の)二次救急対応可能な医療機関が存在し、より高度な医療機器(CTやMRIなど)を備え、専門医を多く雇用しています。
患者側からすれば「近くの病院で高度な検査や治療が受けられる」ことは喜ばしいことですが、より多くの科を標榜し、より高度な医療を提供するようになることが、医療費の高騰を招いている、という見方もあるようです。
近代医学の確立、診療科の文化、内科系と外科系はこう違う
今でいう診療科は、大きく内科/外科に分かれて発展してきました。ポイントは、薬で治すか、手術で治すか、という点です。
目の前に病やケガで苦しむ人がいたら何とかする、これが医学の原点ではありますが、古くは有史以前から、家族の中あるいは一定のコミュニティの中で、薬(薬草)や呪いなどで回復させる、という方法でした。これが医学として発展するようになったのは、次のような流れがあると言われています。
- 紀元前400年頃 : ヒポクラテス登場
- 16世紀 : アンドレス・ベサリウスが行った解剖により、人体の形態的な理解が一気に深まる
- 17世紀半ば : ウィリアム・ハーベイが血液循環論を提唱
- 18世紀頃 : ルネ・ラエンネックが聴診器を開発、さらにルドルフ・ウィルヒョウによる病理学、ルイ・パスツールやロベルト・コッホによる細菌学や感染症に対する研究などにより、内科学は大きく発展を遂げた
一方の外科ですが、「他人の血液や膿を浴びる」「小さなケガなら放置してもいずれ治る」という考え方があり、中世ごろまでは理髪業と兼業であることが一般的でした。
そんな外科学の発展に寄与したのが、ルネッサンス期のアンブロアス・パレという人物で、止血には焼灼よりも結紮が効果的であると提唱しました。
この頃の手術は、疼痛・出血・術後の化膿が治癒の妨げとなっていましたが、18476年にウィリアム・モートンによりエーテル麻酔が行われ、さらにコカインの登場により、表面麻酔、脊椎麻酔へと、麻酔法は進化していったようです。
痛みを克服すると次の焦点は消毒。前述のルイ・パスツールの業績に学んだジョーセフ・リスター※は、手術前の手洗いと消毒、創傷の被覆などを取り入れました。
感染させないという考え方は、さらにゴム手袋の使用、ガーゼや手術器具の滅菌へと発展します。外科は、麻酔法/無菌法/止血法を柱として、発展してきたようです。
※消化管の開腹手術で使用する「リスター」の生みの親といわれている
日本の近代化と診療科の遍歴
では、日本における医学の発展はどうだったのでしょうか。
日本では、鎌倉時代にはすでに内科(なぜか“本道”という)、外科、産科・眼科の医師はいたようです。当時は中国やインドなど東洋医学が中心でしたが、江戸時代になってからは南蛮医学等を取り入れ、鎖国中も医学に関する洋書の輸入は可能だったといわれています。
明治維新後はドイツから西洋医学が入り、現在の東京大学(帝国大学)で、本格的な医師の養成が始まりました。
診療科ごとの歴史を見ると、おおよそ次のようになります。
図2 戦前の日本における診療科の設立年代
明治はじめ頃の日本には「医師を養成する医師」が存在せず、すべて海外からの医師を招聘していました。その後、1893年(明示26年)に日本人講師による日本人への医学教育が始まり、この時が「日本医学の独立」だとされています。
第一次大戦により、ドイツとの国交が経たれましたが、その後も日本国内では研究施設や教育機関が増え、医師の養成、医学の研究が続きました。
戦後、大きく変わった日本の医療?
日本では、戦後の復興とともに医療機関(病院)も増えました。戦後から1970年代頃までは、前述のような診療科による病院と、専門的な治療を行う病院とが混在していました。
現在ではあまり考えられないことですが、癲狂病院(今でいう精神疾患)、避病院(コレラ患者)、娼妓病院(性感染症)、脚気病院、ハンセン療養所、結核療養所などがありました。
現在では、こういった名称の病院は無く、診療科目も細分化され、それぞれの疾患に適した治療を行う医療機関へと、変貌を遂げています。
戦後に登場した診療科としては、次のようなものがあります。
- 麻酔科
- 内科系:神経内科、アレルギー科、リウマチ科、精神科と心療内科、小児科 など
- 外科系:呼吸器外科、心臓血管外科、気管食道科(現在は無い)、脳神経外科、形成外科、美容外科 など
麻酔科は、1950年代に日本での教育がスタートしましたが、気管内麻酔の発展には「肺結核の治療」があったといわれています。
まとめ
今回は、医療経営士3級用のテキストの第5巻、「診療科目の歴史と医療技術の進歩」についてみてきました。現在の日本では、性別や年齢による標榜、専門性を明示した標榜も認められています。例えば「女性内科/老年内科」「小児外科」「糖尿病内科」などです。
検査・治療機器などに特徴を持たせる病院も増えており、実際、日本のCT所有数(人口100万人あたり)は世界トップクラスで、アメリカの3倍近く、イギリスの10倍以上です。
戦後の日本の復興スピードを考えると、諸外国と比べて短期間のうちに急激に発展してきたともいえます。医療機関の経営には、こういった「医療の成り立ち」についても、熟知しておく必要があるようです。
参考資料
一般社団法人 日本医療経営実践協会
医療経営士とは
http://www.jmmpa.jp/about/
医療経営士初級テキスト第5巻【第2版】
「「日本の医療関連サービス」─病院を取り巻く医療産業の状況
上林茂暢 (健愛会柳原ホームケア診療所)、山内常男(健愛会柳原診療所所長)「病院の仕組みと各種団体、学会の成り立ち」─内部構造と外部環境の基礎知識
厚生労働省 医政発第 0331042 号「広告可能な診療科名の改正について」
平成20年3月31日
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/kokokukisei/dl/koukokukanou.pdf
この記事をかいた人
医師キャリア研究のプロが先生のお悩み・質問にお答えします
ツイート