ギリシア・ローマ時代の医療―「経験医学」と「実験医学」
■作成日 2018/3/14 ■更新日 2018/5/9
元看護師のライター紅花子です。
このコラムでは、医学・医療・看護の歴史や、その分野発展の上でターニングポイントとなる「ひと」「こと」「もの」などを取り上げ、ひも解いていきます。
今回は『ギリシア・ローマ時代の医療―「経験医学」と「実験医学」』です。
そこにはどのような歴史物語があったのでしょうか。
古代医学から西洋の近代医学への流れとして考えた時、16世紀頃が一つの節目となります。16世紀以前は、ギリシアからローマ、西ヨーロッパ、ルネサンスの時代、16世紀以降は、近世医学の解剖学を始め歳とした「実証的医学」の世界へと変化していきます。
当コラムではここをひとつのポイントとして、その前の時代と後の時代に分け、それぞれの時代に活躍した人物にスポットを当ててみていきたいと思います。
今回は前の時代=ギリシア・ローマ時代を中心にみていきます。
ギリシア・ローマ時代
ギリシア・ローマ時代は、ひとくくりにするにはあまりに長い時代です。
ギリシア時代と言えば、有名な「ポリス」と呼ばれる都市国家が、すでに紀元前10~8世紀ごろには完成していたと言われています。
一方のローマ時代は、紀元前753年が建国とされ、王政期、共和政期を経てギリシアを属州としたのが紀元前146年、帝政ローマのはじまりは紀元前27年のことでした。
その後西暦476年に西ローマ帝国は滅亡します。一般的にはこれが古代ローマの終わりと考えられています。
貢献した人物
さてこの長い歴史の中で、医療の世界で傑出した人物がいました。ひとりはギリシア時代のヒポクラテス、もう1人はローマ時代のガレノスです。どちらも非常に有名な人物ですので、耳にしたことのある人も多いと思います。
古代ギリシア ヒポクラテス以前
古代ギリシアの医療は、ヒポクラテスが登場する以前と以後で、大きく変わっています。
ヒポクラテス以前は、「医神アスクレピオス」への信仰を中心とした、魔術的なことをとりおこなうことが医療でした。ギリシア各地にあったアスクレピオスを祀る神殿に何日もこもり、神官から儀式的な治療を受けるというもので、病気と健康には神(神々)が関与しているという考えによるものでした。
これは古代エジプトの信仰と慣習を多く取り入れたもので、アスクレピオスそのものも、古代エジプトのイムホテップの神格化とも言われているくらい、エジプトの影響を色濃く受けていました。イムホテップについては、当コラムでもお伝えしています。
医神アスクレピオスの持つ、ヘビの絡みついた杖は、現在でも「モチーフ」として利用されており、WHOのロゴの他にも、世界医師会、日本医師会などのロゴに利用されています。
さらには「スター・オブ・ライフ(世界中で救急医療を表すシンボルマークで、救急車両などに使われている)」のロゴにも、この「アスクレピオスの杖」が描かれています。
古代ギリシア ヒポクラテス
ヒポクラテス(紀元前460年ごろ~紀元前367ごろ)は、この時代に当たり前だった、神(神々)と健康や病気との関係を否定しました。
神官がおこなった『神への呪文により受けたお告げを介して、病気の経過を予言する』のではなく、『病気を自然の現象と捉え、観察し、事実を記録し、経験の積み重ねから結果を予測する』ということを主張したのです。
魔術的な医療と、当時ギリシアで流行していた「思弁哲学」という思想と医学とを、バッサリと切り離したということです。つまりヒポクラテスは、推論と論証ではなく、客観的な現象の観察から結論を出そうとする『経験医学』をはじめたのです。
こうしたヒポクラテスの姿勢は、後世に医学を自然科学として発展させる支柱となっていきます。
近世に入り科学的医学、20世紀に入りめざましい発展をみせた現代医学へと続くことから、ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれています。
また、当時医者という職は社会的地位が低く、各地を遍歴する変わった人物と見られていたようなのですが、ヒポクラテスの活動、特に「ヒポクラテスの誓い」により、人々の捉え方が大きく変化し、社会の立派な一員として認められたといわれています。
古代ローマ ガレノス
ヒポクラテスの時代からさらに時代が下がったローマ時代、ガレノス(129年?~200年)という医学者が活躍しました。ガレノスは身体の病気やメカニズムを理論的に説明すること、実験による証明をおこないました。
これによって医学は「古代医術」から脱け出したといわれています。ガレノスの医学は次の3つの思想を統合したものだとされています。
- ヒポクラテスの「四体液論」
- プラトンの「人体の3つの主要システムは 肝臓 ・ 心臓 ・ 脳 であるという理論」
- アリストテレスの「霊魂の理論」
これらの理論を統合し、また、持論を加えることで、ガレノスはローマ医学の主役になったのです。
一方、ガレノスはやや「早とちり」なところがあったらしく、知識や動物実験による推測、ヒントなどを「事実とみなしてしまう」ことがあったようです。しかし、自説を広める手腕に長けていたことや、自信家であったことも、彼の説のみが正しいと思いこませてしまう理由になったのでしょう。
ガレノスの理論は「精気論」と呼ばれ、医学思想が近世になるまでのヨーロッパ医学を支配した基本理論となり、その著作は17世紀の終わりまで、ヨーロッパにおける医学教育の基礎となりました。
その理論は「人間は単一の創造主(神)によって創られた、目的を持った創造物であり、肉体と魂が分離している」という考えに基づくものでした。
この考えは、キリスト教の教養である「創造主(神)から与えられた人間の魂のはたらき」を問う、というものに矛盾しなかったため、キリスト教の学者などに広く受け入れらました。
キリスト教の広がりに勢いのある時代と重なったこともあり、ガレノスの医学は簡単に破られることなく、そのまま世界の医療の中心として君臨します。その結果、1500年のも医学発展の空白期間を作ることになりました。
しかしガレノスは、彼の理論により医学発展を妨げた反面、ガレノスが行った動物実験による「医学的発」見は数多くあり、これらが1800年も前に示されていたことに驚かされます。
ガレノス以降の医学は?
ガレノス以後の長い時間の中、医師たちは注意深く「古典の規範」に沿った医療を実践します。その結果、現代医学にも通じるほどに発展した医療が、なんと1500年にもわたってほぼ停滞してしまいます。
しかしその停滞に一石を投じるのもまた医師なのです。
次回は、この「一石」から、さらに新しい方向へ向いていく、医療や看護の歴史を追いかけていきましょう。
【参考資料】
1.医療の歴史―穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史
スティーブ・パーカー 著
千葉喜久枝 訳
創元社 2016年1月1日 第1版第1刷
2.医学の歴史
ヴォルフガング・エッカルト 著
今井道夫・石渡隆司 監訳
東信堂 2014年12月10日初版第1刷
3.医学の歴史大図鑑
スティーブ・パーカー 監修
酒井シヅ 日本語監修
河出書房新社 2017年10月30日初版
4.医療経営士 初級テキスト1 第2版
医療経営士―医療の起源から巨大病院の出現まで
酒井シヅ 編集
株式会社日本医療企画
2013年7月10日 第2版第1刷発行
5. https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/igaku/exhibitions/2007/exhib1.htm
九州大学附属図書館企画展
「東西の古医書に見られる病と治療 - 附属図書館の貴重書コレクションより」
6.https://seiyogakuin.ac.jp/kikou_post/%E7%AC%AC59%E5%9B%9E%E3%80%80%E6%B0%97%E8%B3%AA%E3%81%A8%E6%80%A7%E6%A0%BC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
仙台青葉学院短期大学 特別寄稿
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