日本で最初の公的医療機関―聖徳太子と四箇院

■作成日 2018/2/26 ■更新日 2018/5/9

 

元看護師のライター紅花子です。

 

このコラムでは、医学・医療・看護の歴史や、その分野発展の上でターニングポイントとなる「ひと」「こと」「もの」などを取り上げ、ひも解いていきます。今回は日本で最初の公的医療機関―聖徳太子と四箇院です。そこにはどのような歴史物語があったのでしょうか。


時代背景を振り返る

まずテーマとなった時代について少しお話ししておきましょう。

 

時は6世紀後半、日本はヤマト政権から飛鳥時代と移って行きました。当時は、有力豪族たちが天皇の周辺で権力を奮っていた頃。特に有力だったのは蘇我氏と物部氏で、この二氏はあることを理由に対立していたのです。

 

ちょうどその頃、中国では隋が南北朝を統一に向けて動き出しており、朝鮮半島では百済・新羅・高句麗が、三つ巴の戦いを繰り広げていました。さらに隋は、中国を統一後に高句麗に侵攻しようと目論み、日本の周辺でも緊張が高まっていました。このような中、日本でも強固な国家組織(中央集権国家)の形成が迫られていました。

 

仏教の伝来など他の国々との交流が盛んになると、物々交換も行われるようになると同時に、疫病(=はやり病)も日本にもたらされることになりました。古来より、疫病とは「神々の祟り」であると信じられており、失政があると天地の気候に変異が起こり、疫病がはやると考えられ、政争に発展することが多かったようです。ちょうど仏教が伝わった年に疫病が大流行し、これをきっかけとして蘇我氏VS物部氏による大きな政争が勃発しました。

 

最終的には廃仏派の物部氏が滅び、崇仏派の蘇我氏が権力闘争に勝利したことで、仏教が正式に取り入れられるとともに手厚く保護されることになります。この一連の政争にも大いに関わり、蘇我一族の一員でもあったのが、593年に時の天皇の摂政となる聖徳太子です。

この時代の医療とは?

さて、どのような時代であっても、そこに生きるものがある限り、病や怪我などの身体の不調から逃れることはできません。現在のような「医療」「看護」という概念などない時代であっても、身体の不調に対して手当てをおこない、平癒を祈る行為はあったのでしょう。

 

またそのような不調が起こらないように祈りを捧げ、不調を予知・予言するような呪術もあったのではないでしょうか。特に古代では、現在のような「薬剤」はありませんから、薬草などによる治療行為が、おこなわれていたと推測できます。

 

その後、周辺諸国との人の行き来が始まると、日本にも各国の進んだ医療文化が伝わることになります。5世紀には新羅から来た医師が天皇の病気治療を行い、また別の天皇の求めに応じて来日した医師が帰化しその後代々医業を営んだとされています。

 

そのころの百済では非常に進んだ医療が行われていて、薬品(恐らく薬草)の種類も多かったという記録が残っています。

 

そしてそこから約1世紀のちに、仏教が伝来しました。百済から仏像や仏具、経典などがもたらされ、仏教を受け入れるように要請したとされています。翌年、日本は百済に対して「医博士・暦博士・易博士の派遣」と「大量の薬品を送る」ことを要請したそうです。

 

それに応え、医学を教える医博士と、薬草の鑑定や栽培・栽薬の方法を指導する採薬師が、来日したということです。

我が国における「医療の発展」に貢献した人物は誰なのか

 

先ほど名前だけ登場した聖徳太子ですが、実は「聖徳太子」とは、実際の名前ではなく、諡号(しごう=おくりな:貴人や高徳の人に対して、生前の事後の評価に基づく名のこと。一般の人に対する戒名のようなイメージ)です。教科書などには厩戸皇子(うまやどのみこ)や、厩戸王(うまやどのおう)などと表記されていますが、このコラムでは聖徳太子と呼ぶことにします。

 

聖徳太子が生前、仏教の「慈悲の精神」を政治に具現化しようと難波に建立したのが、四天王寺です。さらにこの四天王寺には、仏教を崇拝する施設とともに『四箇院』と呼ばれる施設が併設されていたと伝わっています。『四箇院』とは、4つの施設を統合した名称です。

 

  • 寺院そのものの役割を持ち説法の道場や僧侶の宿舎となった「敬田院」
  • 薬草の栽培や薬局的役割の「施薬院」
  • 病院施設的役割を果たした「療病院」
  • 社会福祉施設的役割の「悲田院」

 

 

聖徳太子は、『あまねく人々を救えば、未来永劫においても疫病の苦しみに遭うことがない』という仏典の教えをよりどころにし、この4つの施設を使って、特に貧しい老人や病人の救済にあたったと伝えられています。これが事実であれば、それぞれの役割を鑑み、「療病院」「施薬院」「悲田院」を日本で初めての公的医療(福祉)機関と言うことができそうです。

 

後世の人々はこれに倣い、貧困者や生活困窮者に対し、無料で病気治療し救済すること(=施療)につながったといわれています。聖徳太子の思想はさらに300年後、平安時代になって太子信仰として全国へ広まり、多くの書物が残されました。その中に四箇院の設立について書かれたのが、最初の記録のようです。

 

つまり、四箇院については明確な史実ではなく、いわゆる「伝説」なのかもしれません。しかしこの時代に、仏教発祥の地であるインド医学が、仏典を通じて日本に伝わったことは事実です。これが後に、病気の治療だけではなく、僧侶たちが「病人を看護する重要さも説かれた仏典」に倣うことで、医学を習得、発展していく起点となったことは、まぎれもない事実なのです。

 

なお、聖徳太子の帰依した仏教精神に基づいた「療病院」「施薬院」「悲田院」の各事業は、1931年に設立された「社会福祉法人四天王寺福祉事業団」を中心に再興され、現代にも継承されています。


まとめ

 

日本初の公的医療機関は、聖徳太子の「慈悲の心」に端を発しているといわれていますが、現代の医師や看護師にも「慈悲の心」は必要です。その思想の根源は仏の教えでしたが、現代にも通じる考え方ではあると思います。看護師の考え方の根幹は、「患者さんのために」であることには、違いないからです

 

 

この記事をかいた人


紅 花子 (べに はなこ)
正看護師歴10年、IT技術者歴10年という少し変わった経歴をもつ。現在は当研究所所属ライターとして、保健医療福祉分野におけるライティング業を生業としている。この分野であれば、ニュース記事の執筆・疾患啓発・取材・書籍執筆・コンテンツ企画など、とりあえずは何でも受ける。東京都在住の40代、2児の母でもある。好きなマンガは「ブラック・ジャック」。

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