知られざる看護・医療の歴史物語「三大伝統医学-1古代インドの医療と看護」

看護の歴史物語 三大伝統医学-1古代インドの医療と看護

■ 記事作成日 2017/11/10 ■ 最終更新日 2017/11/10

 

元看護師のフリーライター紅花子です。

 

このコラムでは、医学・医療・看護の歴史や、その分野発展の上でターニングポイントとなる「ひと」「こと」「もの」などを取り上げ、ひも解いていきます。
今回は『三大伝統医学-1古代インドの医療と看護』と称し、今なおインドにて受け継がれている「アーユルヴェーダ」についてみていきたいと思います。神への祈りから始まった伝統医学の継承、そこにはどのような歴史物語があったのでしょうか。


古代インドに思いを馳せる インダス文明〜ヴェーダ時代

『アーユルヴェーダ』とは、インドの伝統医学のことです。アーユルヴェーダは、日本でもテレビや雑誌など、特に女性向けのメディアで取り上げられることが多く、中にはスピリチュアル的なイメーを抱く人もいるかもしれません。

 

現代のインドでは、アーユルヴェーダ医師の治療が全人口への医療提供の8割をカバーしているとも言われています。では、アーユルヴェーダが生まれた時代を振り返ってみましょう。

 

インダス文明 紀元前2600年〜同1800年

 

この頃の古代インド周辺にはインダス文明という非常に高度な都市文明が発達していました。綿密な都市計画に基づいた極めて整った都市で、道路や上下水道が整備され、公衆浴場(沐浴場)もあったといわれています。宗教的な影響から「浄める」ことを強く意識する文化で、結果的に公衆衛生が整った生活ができていたようです。その後インダス文明は紀元前1800年ごろに急速に衰退しますが、その理由には諸説あり、はっきりとした要因はいまだ明らかになっていません。尚、この時代の医療は、呪術的医療であったと考えられています。

 

ヴェーダ時代 紀元前1500年〜同500年

 

紀元前1500年ごろになると、インド亜大陸北西部のパンジャーブ地方に、中央アジアを経てアーリア人が侵入します。アーリア人は先住民族を征服しながら、同時に農耕文化のさまざまな技術を学び、牧畜生活から農耕生活へと移行、先住民とアーリア人の混血が進んでいきました。

 

図1 インダス文明とアーリア人の侵入

 

紀元前1000年ごろ、アーリア人はさらに移動(侵入)を進め、ガンジス川流域へ定着、本格的な農耕社会を作り上げていきます。アーリア人生活範囲が拡大する間に、社会の発展とともに宗教と身分制度が生み出されていきました。

 

その頃日本は…

 

紀元前1500年ころの日本は、いわゆる縄文時代の終盤。数多くの複雑な形状をした縄文土器がつくられた頃です。また、整えられた水田ではありませんが、日本でもこの頃から稲作が始まっていたといわれています。

アーユルヴェーダ

ではいよいよ、アーユルヴェーダについてみていきましょう。

 

アーユルヴェーダの考え方

 

アーユルヴェーダはサンスクリット語で、生命や長寿を意味する「アーユル」と知識や科学を意味する「ヴェーダ」を合わせた言葉です。人体のことを『小宇宙』に例えた思想ですが、これによると宇宙や人は空・風・火・水・地(土)の、5つの元素で構成されます。さらに5つの元素は、そのバランスにより3つの生命エネルギー「ヴァータ(風・気息)」「ピッタ(胆汁)」「カパ(粘液)」を生み出します。

 

これらの不調和が、病気の原因になるという考え方です。興味深いのは、この3つの生命エネルギーは病気の原因となると同時に、人を健康に保って活力をみなぎらせるものでもあるという点です。

 

アーユルヴェーダは、以下の4つの考え方で成り立っています。

 

  • 病気の予防と治療
  • 理想的な体質の構築(増進)
  • 身体組織の質の向上
  • 精神の質の向上と強化

 

アーユルヴェーダの歴史―宗教経典「ヴェーダ」

 

アーユルヴェーダは元々、宗教経典「ヴェーダ」から派生したものです。特に病気への関心が高く、多くの病名がある『アタルヴァ・ヴェーダ』の副ヴェーダとして、アーユルヴェーダが権威を得たのではないかといわれています。

 

 

アーユルヴェーダの歴史―系譜

 

そもそもヴェーダは宗教経典ですから、口承で神から神へ、神から聖人へ、さらにその弟子へと伝えられていき、時代が進むと文字によって書き残され、その後はアーユルヴェーダの教科書となるような名著も残されてきました。

 

広い意味においては、こうしたものもアーユルヴェーダと捉えることができます。古代インドでスタートした、宇宙神から始まる「アーユルヴェーダをめぐる人物相関図」をみてみましょう。

 

 

アーユルヴェーダには『三医聖』とされる優れた医師がいました。それぞれが残した名著は『三大古典』『三大医書』と呼ばれています。彼らが記した医学書は、現在もアーユルヴェーダを学ぶ際の教科書として使われています。

 

 

3人の偉大な医師が残した医学書には、後世の医学と比較しても遜色のないものが含まれ、その膨大な情報量に驚かされます。さらに医術だけでなく、医師や看護人の素養、医学教育にも言及されています。

現代医療の中でのアーユルヴェーダ

 

現代医療は科学的な近代医学を根拠としていますが、アーユルヴェーダなどの伝統医学は、現代医学と組み合わせ、『統合医療』の補完療法・代替療法のひとつとして利用されています。

 

日本では厚生労働省の検討会での位置づけとして「近代西洋医学を前提として、これに相補(補完)・代替療法や伝統医学等を組み合わせて更にQOLを向上させる医療であり、医師主導で行うものであって、場合により多職種が協働して行うもの」とされています。

 

これには、アメリカの国立補完統合衛生センターの統合医療の定義や補完療法・代替療法の分類、WHOの伝統医療の定義などが考慮されています。現在もインドやその周辺国や地域では、国の伝統的な健康管理システムとして受け継がれています。

 

紀元前1500年頃のインド宗教から発展してきたアーユルヴェーダ。その科学的根拠については未だ研究途中ではありますが、インド文化圏に古くから根付き、人々の健康保持と心身の病気予防、診断・治療を目的に進化し、多くの人々を救ってきたことには違いありません。

 

現代の日本では、その利用方法をしっかりと認識し、その利用について医療者としっかりコミュニケーションをとることで、患者さんのQOL向上に役立てられる、ということなのではないでしょうか。

 

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